Sato Tomoko

painting,painting,painting!
美しい言葉

最近になって知ったのですが、ケルンにもナチスに関する資料館があります。今日は授業が早めに終わったので、行ってみました。


NS-Dokumentationszentrum (ナチ記録センター)です。建設者の名前から「エル=デ・ハウス」(EL-DE-Haus)とも呼ばれていますが、1935年から1945年までナチス政府行政区のケルンにおけるゲシュタポ(秘密警察)の拠点として機能した建物だそうです。


地下には刑務所があります。その一つ一つの部屋の壁は、不幸にして捉えられた人たちが刻んだ文字や絵でいっぱいでした。


今日聞いた話だとほとんどの囚人はロシアを中心に外国人だったとか。だからそれぞれの国の言葉で刻まれています。もちろん数は少なくともドイツ人も捕えられたので、ドイツ語のものもありました。


Wenn keiner an dich denkt,
deine Mutter denkt an dich.

「もし君のことを思う人が一人もいなくても、君のお母さんが君のことを思っている」というような意味です。捕われ、おそらく強制労働や拷問の苦しみの中で、こんな美しい言葉を壁に刻むのかと、何だか感動してしまいました。

自分が苦しければ自分を励ます為に一人称(私)で書いても不思議ではないのに、あたかも周りの人を励ますように二人称(君)で書いていることにも、何とも言えない思いが感じられます。

この言葉以外にも残されたメッセージは、どれも飾りのない真っ直ぐな言葉で、他のどんな展示よりも心に響いてくる気がします。辞書で単語をいちいち引きながらですが、ドイツ語を勉強して良かったなあと思う瞬間でもありました。
| 強制収容所 | 20:05 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
フォーゲルザンク:鳥のうた

ケルン南西にあるVogelsangという旧軍事施設に行きました。


施設全体がアイフェル国立公園の中にあり、
自然に囲まれて景色もすばらしい場所でした。

1930年代に建設され、41年からはナチ党立のギムナジウムであるアドルフ・ヒトラー学校の一つとして使用されたようです。第2次世界大戦後はアメリカ、1946年からはイギリス軍に、1950年から2005年までベルギーの軍が使用。2005年12月にドイツに返還され、2006年から公開されたとか。


つい最近まで利用されていただけあって,建物はきれいです。


重厚で威圧的な感じすらする建物。この施設全体がVogel(鳥)sang(歌)という美しい名前で呼ばれていることには驚きました。

朝早くケルンを出たので、10時にはVogelsangに着いて12時には一通り見学が終わり、午後は国立公園を散策することに。インフォメーションで尋ねると、日曜日は13時からレンジャーツアーがあると教えてくれました。国立公園内をレンジャーと一緒に3時間と言われて、そんなに歩けないよとうろたえたのですが、良く聞くと3時間で6キロという子供向けのコースでした。しかも無料。


レンジャーのおじさんが植物や歴史について解説しながら、ゆっくりゆっくり歩きます。ほとんどが年配のご夫婦か子供づれの家族で計30人ほど。


レンジャーのおじさんはとても親切で、「ドイツ語分かるか?英語で話そうか?」と聞いてくれます。「ドイツ語を勉強してるから、ドイツ語で良いよ」と言うと嬉しそう。「ゆっくり話すから、分からなかったらいつでも質問して」と。そして本当にずっとゆっくりクリアーな発音で話してくれました。でも30%ぐらいしか分からなかったけど。

そしてこのツアーの中で私が最も魅かれたのが、Wollseifenという村の跡地です。イギリスの軍関係者の家族が住んでいたとかで、多い時は500人くらいだったそうです。そのため住居だけでなく学校や教会もあったけど、今はすべて廃屋。


ぼろぼろの教会


廃屋


ベルギーの軍が市街戦の実践訓練用に建てた家。訓練の為だけに作られているので、シュールレアリスムの絵を見ているような奇妙な感覚です。

たくさん歩いて帰った時はくたくたでしが、出会う人が皆親切で、景色は美しく、良い一日でした。もう少しドイツ語が分かるようになってから、もう一度このツアーに参加してみたいです。
| 強制収容所 | 23:55 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
ノイエンガンメ強制収容所

今年の旅行で訪れたわけではないのですが、ノイエンガンメ強制収容所をちょっと紹介。

2006年にドイツとイタリアを旅行した時に訪れました。ドイツ北部の港町ハンブルクから、電車とバスで日帰りできます。最寄りの駅からバスに乗って収容所へ向かう時に、バスの運転手さんが「途中でエルベ川が見えるからね」と誇らしげに教えてくれたのも良く覚えています。

ノイエンガンメは強制労働を目的とした収容所で、囚人が働かされていたレンガ工場が中心にあります。残っているものはさほど多くなく、独特のデザインのレンガ工場が印象に残ります。


エントランスと記念碑があります。


レンガ工場。この建物を写真で見て、興味を持ったのがハンブルクまで足を運んだ理由です。


同じくレンガ工場。

小さな博物館、資料館などがきれいに整備されていました。この時はザクセンハウゼン以外の収容所は初めてだったので、建物や空間の雰囲気の違いに随分驚きました。

二つ見ると、三つ目が見たくなる。そんな感じで思っていたのが、今年の旅につながりました。

| 強制収容所 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
描くこと

ちょっと頭の整理を。

8月25日に日本を出発してからの4週間の旅は結果的に、「強制収容所を巡る旅」になりました。といっても4週間で訪れたのは7施設だけだし、絶対に行くという強い意志で日本を出発したわけでもありません。訪れるかもしれないという予感だけを持っての出発でした。ベルリンのザクセンハウゼン強制収容所であの壁の絵を見なければ、私の旅は違うものだったと思います。

アウシュヴィッツを見学したときにガイドの中谷さんに、ザクセンハウゼンで見た囚人の絵のことを聞いてみました。というのも絵の具が手に入るわけがないし、勝手に描くことが許されるとは思えなかったからです。

やはり描かされたものだそうです。囚人の中にいた絵描きは、言われた通りに描けば当然なにかご褒美があり、それは過酷な環境の中で生き延びる手段でもあると。

どうしてあれ程明るい絵なのかと尋ねると、そういう明るい絵を壁の飾りとして望まれただろうし、その方が外部から視察があった時に、それ程ひどい状況ではないかのように見せることができる、と。

ザクセンハウゼンの壁の絵は、嫌々ながらも強制的に描かされたものには私には見えませんでした。それで、あの環境の中で楽しい明るい絵を描けるのだろうかと私が重ねて聞くと、こんな言葉が帰ってきました。

「あなたにとって描くことは苦しい方へ向かうことかもしれない。でも彼らはすでに苦しい状態の中にいる。だからもしかしたら命令とはいえ描くという行為が、苦しいところから顔を出すように、ほんの少し新鮮な空気を吸えたのかもしれませんね。」

この言葉が頭の中でぐるぐるしています。


ビルケナウの手洗い場の壁に描かれた歯ブラシや歯磨き粉

| 強制収容所 | 15:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブーヘンヴァルト強制収容所

今回の旅の最後としてブーヘンヴァルト強制収容所に訪れました。テレジンで混乱してしまったこともあり、行くか迷いましたが、美術館に行く気にもなれず、やはり訪ねることに。ブーヘンヴァルトは華やかできれいなワイマールから5kmほど。そして別世界。


インフォメーションで地図を手に入れ、ゲートに向かいます。ゲートを超えると広い敷地にバラックの跡。全く残っていません。


可愛い建物があると思って近づくとクレマトリウム(火葬場)で、その外観とのギャップに絶句。

この収容所にはナチスのための小さな動物園があったそうです。飢えて苦しむ囚人たちの前で、くまにエサをやる。そうして2重に苦しめる。




当時の写真

資料館は3つあって、一つは戦後に旧ソ連の収容所として利用された時の内容。もう一つはこの収容所の歴史。そしてもう一つは「強制収容所から生まれた芸術」という展示。正直、ザクセンハウゼンで壁に描かれた絵を見てからずっともやもや混乱している私のためのような展示で、びっくりしました。

この収容所で画家として絵を描かされながら生き延びて、戦後もアーティストとして制作を続けた人たちの作品の展示。何とか英語を拾い読みしながら見学。分かったことと感じたことをこれから少しずつ整理していかねば。
| 強制収容所 | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テレージエンシュタット中継収容所

プラハからバスで1時間、テレージエンシュタット中継収容所へ。18世紀に建造された要塞の跡地を利用している収容所で、閉ざされた印象が強くここもまた独特の表情でした。

ひとくくりに強制収容所と言うことが多いですが、定義としては強制収容所と絶滅収容所に分かれます。大きな収容所は基幹収容所となり、いくつかの衛星収容所を従えます。

テレジンは中継と名がつくように、次の収容所へ送るための一時預りのような場所でもあったようです。収容所という一つのシステムがすごく立体的に構築されて、明確な構造を持っていたことを改めて感じます。

中継収容所とはいえ、ここでも多くの犠牲者がいることに変わりありません。


収容所の前にある墓地


独特のデザインの入り口


しらみ駆除室


治療室

しらみ駆除室や治療室があるとはいっても、これは赤十字など外部の目をごまかすのが目的で、ある種のプロパガンダだそうです。人道的に扱っているという。現実に十分に機能していたわけではないようです。

他にも火葬場や資料館などがテレジンの町の中にあります。資料館ではナチのプロパガンダにも利用されたアーティストの作品や収容された子どもたちの描いた絵が展示されていました。

衛生面でも配慮しているふりをしていたように、文化的な生活をしているように外部の目をごまかすためにもそういったものが必要だったからのようです。

テレジンではコンサートやオペラがあり、音楽家は作曲し演奏し、画家も絵を描き、、。彼らはどんな状態で制作していたのだろう?収容所では本当は何が起きていたのだろう?ちょっと混乱してきました。

| 強制収容所 | 02:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マウトハウゼン強制収容所

リンツの中央駅からバスと徒歩でマウトハウゼン強制収容所に行きました。朝、ユースからさあ出かけようとした時に、同じ部屋に泊まっているアメリカ人の女の子ナタリーが、一緒に行きたいと言い出して、二人で行くことに。昨日、私が収容所に行くと言った時、関心を示していたので、一晩考えて行くことにしたのだと思う。

ナタリーは10月からイギリスの大学院に進学するとかで、今は旅行中。私のブロークンイングリッシュも気にしない、明るくてオープンな性格。行きのバスの中でも、日本の総理大臣はもう辞めたんでしょうとか、自分にはギリシャの血も混ざっているとか、(コーン畑の前を通ると)コーンは新しいエネルギーになるから値段が上がっているとか、次から次に話します。

どうなることかと思ったけど、収容所ではやはり黙ってみています。言葉が出てこないのです、お互いに。

その中でナタリーが1度だけ話しかけてきました。収容された人はそれぞれに印をつけられる。同性愛者だったらピンクの三角とか。エホバの証人は紫の三角なの。と、purple triangleをしきりに繰り返します。


資料館でちょうどそのことを説明した展示がありました。

詳しくは聞き取れなかったけど、何か彼女としてひっかかりがあるようでした。それが何なのか分かりませんが、英語もできない日本人についていってでも見に行こうと思った何かはあるわけです。

今日はマウトハウゼンを見たというより、マウトハウゼンを見るナタリーを見ていた気がします。


城壁のように見えるマウトハウゼン強制収容所


長いバラック


かつてはここにもバラックが建っていた

| 強制収容所 | 23:38 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ケルンに行くまでの4週間の旅のちょうど折り返しでアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に訪れました。日本人のガイド中谷さんにガイドをお願いしました。これまでは分かる英語だけを拾い読みするだけの見学をしていたので、日本人のガイドさんの存在を知り、メールで依頼したわけです。私を含めてその日は5人。


建物や空間、展示も含めてこれまでに訪ねた収容所と格段に何かが違うということはありませんでした。ごく個人的な感想ですが、マイダネク強制収容所の方が私には重くのしかかりました。マイダネクが静かだったからかもしれませんが。


ただアウシュヴィッツの第二収容所であるビルケナウの敷地の広大さは途方もなくて、やはり直接見ないと分からないことはあるものです。


証拠隠滅のためにドイツ軍が破壊したガス室。ここでユダヤ人の少女たちのグループとすれ違いました。ユダヤ人だと分かったのはイスラエルの国旗をマントのように体にまとっていた子が数人いたからです。

「ただ収容所を見るのではなく、彼女たちの表情をみることもここへ来たことの意味だと思いますよ。普通の女の子でしょ。」

と言われ失礼にならない程度に見ていると、たしかに 普通の女の子が、目を真っ赤にしてお互いを支えながら見学している姿は、壊れたガス室を見る以上の何かがあります。



アウシュヴィッツのあるオシフィエンチムは、緑豊かな小さな街でした。

| 強制収容所 | 01:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マイダネク強制収容所

今日はワルシャワから強行軍でルブリンへ。急行列車で2時間30分。ルブリン駅からバスに乗って約10分でマイダネク強制収容所に到着。

monument
エントランスの巨大なモニュメント。


広大な敷地に木造のバラックやガス室、焼却炉が残っている。ひたすら 歩いて見学。バラックの形はザクセンハウゼンやラーフェンスブリュックと同じなのに、木造のため印象が異なる。写真を撮りながら3時間ほどかけて見終わる。


この道の向こうに焼却炉がある。

ここに送られて来た人たちは、まず労働力になるかで選別される。働けないとみなされた人は、服を脱いで温かいシャワーを浴びる。そのほうが毒ガスがよくきくからだそうだ。私でも読めるようなシンプルな英語で、ここはガス室、ここはシャワー室と淡々と書かれると、直截に体に響いてくる。


シャワー室

こんなに緑がきれいな牧歌的な風景の中で、一人ぽつんと見学していると言葉も消えていく。広大な敷地を歩いたせいもあるけれど、それ以上に疲れた。



余談:
ヨーロッパイーストパスを使って 、ワルシャワから日帰り。青春18切符と同じで、使用した日は1日乗りほうだい。改札はなく電車に乗ってから、車掌さんが日付を入れてくれる。

帰りの電車で乗車券の確認に来た車掌さんは、パスのシステムを知らないみたいで、行きと帰りは別だろうと日付を入れようとする。入れられたら残り3日使えるのが、1日分ダメになるわけで、私も必死で防衛。日本語と英語でわあわあ騒ぐと向こうが根負けして、あきれた顔して去っていったので、何とか守りきりました。その後は車掌さんが来たら、寝たふりをして無視しました。

あぶなかった。

| 強制収容所 | 02:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ラーフェンスブリュック強制収容所

ベルリンから電車で1時間程北にある、ラーフェンスブリュック強制収容所へ。ここは女性専用の収容所として有名です。一部男性も収容されてはいたようですが。

さすがにベルリン郊外のザクセンハウゼンと違って、見学者はほとんどいません。最寄りの駅で降りたのも私と友人と2、3人。

ザクセンハウゼンもそうですが、戦後はそのままソビエトの収容所として再利用されたそうです。建物の損傷がひどく、展示も多くはないのですが、建物や空間を見に来た私としては、人も少なくてゆっくり静かに見ることができました。


メインの建物で中は資料館


拷問道具


労働させられていた建物

ただ、この6年でザクセンハウゼンがものすごく改修されたように、ここもそのうちドイツ人的な徹底ぶりで、きれいになってしまうのかもしれませんが。
| 強制収容所 | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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