Sato Tomoko

painting,painting,painting!
強制収容所巡り (7):ポーランド

遅くなりましたが、ようやっとポーランドです。

マイダネク絶滅収容所 in ルブリン


ワルシャワの南東にあるルブリン(Lublin)の郊外にあり、アウシュヴィッツ=ビルケナウに次ぐ大規模な収容所。

アクセス:ルブリン駅までワルシャワから電車で約3時間、クラクフからは約4時間。駅からはバスで10〜15分くらいだった気がします(1.8 zloty)。ただ収容所行きのバス停は駅から5分程歩いたところにあります。私は駅のインフォメーションでバス停の場所と路線番号を教えてもらいました。

英語が余り通じないので路線番号 (153/156/158番だったと思いますが要確認!) は紙に書いてもらい、町の人にそれを見せてバス停の場所を確認しました。バスでも運転手さんの側に立って、着いたら教えてねと目でアピールしていたのですが、巨大なモニュメントやバラック小屋が突如目に入って来るので、すぐ分かりました。

※電車で行く場合は前日に切符の購入をすませておくことをお勧めします。ワルシャワの駅は切符売り場の窓口が混んでいることが多いみたいで、購入に30分くらいかかったりします。


バスから景色を見ていると、ルブリンの町並みが一変して広大な敷地が広がります。

概  要:1941年に建設が始まり、5万人の「囚人」を入れる施設が42年に完成する。敷地面積は2.7平方kmもあり、犠牲者数もどんなに少なくとも40万以上で、100万を越えるという報告もある。強制労働は厳しく、虐待も残酷さを極めていた。44年7月にソ連軍によって解放される。

ガス室、人体実験の部屋、火葬場、バラック小屋、慰霊碑などが見学できます。またバラック小屋の中が一部資料館になっていました。ドイツの資料館のような近代的な展示ではなく、むしろ残されたものを並べただけというような質素な展示で、その分生々しさがあり見ているとずしんとお腹に響いてきます。

展示物の説明も小さな板に5カ国くらいの言葉で書かれていて短くて簡潔。ポーランド語、フランス語、ドイツ語、英語、ロシア語とかだったと思います。私でも辞書なしで理解できるくらいのシンプルな英語。でも言葉が端的で怖かったです。

敷地内は延々歩くしか無いので手荷物は最小限度で。私が一昨年の9/3に訪れた時は、まだ残暑が厳しい日でかなり体力を消耗しました。逆に冬場に訪れる方は、防寒対策をしっかりしておかないと大変です。それに水分と食料も。全ての展示を見てまわるには3〜4時間かかります。


見張り塔とバラック小屋。


2重の鉄条網。


火葬場。内部には焼却炉が5つあり炉にできるだけたくさんの死体を入れるため、斧でバラバラにしたそうです。


バラック小屋の正面。


囚人服の展示。


犠牲者から押収した大量の靴。


ガス室。部屋に入ると薄暗い中で正面の壁の青色がとても奇麗に感じられて、空が描かれているように思いました。そこに扉があるなんて何だかポエムだなと。ガス室でそんなことを思う自分を不謹慎にも感じながら写真を撮りました。

あとで資料を読み直すと、この青は毒ガスの残留物によって付着したものなのだそうです。それを知った上でも、この青をやはり美しく感じる自分がいて何とも言いようのない気分です。どの収容所を訪れても「過去の悲惨さ」と「現在の美しさ」のギャップの中で驚かされます。


巨大な慰霊碑。エントランスにある巨大な石のモニュメントとあわせて、マイダネクのシンボルのような感じ。マイダネクは残っているもの自体はさほど多くはありません。でも広大な敷地にこの巨大で威圧的にも思えるモニュメントが二つもあり、平凡なバラック小屋の建物と見比べると何とも違和感がある。「どうしてこんなものがここに?」と思うものの、それはむしろ強制収容所の存在全体に向けるべき問いかけかもしれません。

※エントランスに受付があり地図がもらえます。お手洗いと自動販売機もここ。

※映画の上映もあるようです。

マイダネクは本当にインパクトのある場所でした。ポーランドにはアウシュヴィッツがあるため、わざわざルブリンまで足を伸ばす人は少ないと思いますが、是非足を運んでもらいたい場所です。たまたまかもしれませんが、私が訪れた日は見学者も多くなくとても静かに見ることができたのも良かったです。

(→以前の記事へ)
| 強制収容所 | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り (6):チェコ

チェコで訪れた収容所を紹介します。

テレージエンシュタット中継収容所 in テレジーン


プラハから北に約65キロのテレジーン(Terezin)という町にあり、プラハからはバスで日帰りできます。テレジーンはこの収容所跡地をのぞけば、少しさびれた小さな田舎町といった感じ。プラハの華やかさとはまったく違います。



アクセス:プラハからテレジンまでのバスが往復で174コルナ。プラハから約1時間。バスチケットはバスターミナルで買えます。時刻指定して購入するので、できれば事前に購入しておくほうが良いです。私の時は9月の観光シーズンだったためか、ほぼ満席でした(といっても半分くらいは地元の方のようでしたが)。

バスは終点で降車すれば、インフォメーションと資料館(Ghetto Museum)の近くに着きます。途中、小要塞(Small Fortress:収容所のこと)の停留所もありますが、気にせず通りすぎて大丈夫です。先に資料館等を見学した後、小要塞の方に戻って見学し、小要塞前のバス停で帰りのバスに乗るのが効率が良いように思いました。


資料館から収容所へ歩いて行く途中の町並み。

概  要:テレジーンにはGhetto-Museum(博物館もしくは資料館)、Small Fortress(小要塞:つまりテレージエンシュタット中継収容所„Gedenkstätte Theresienstadt“)、Crematorium(火葬場)、Magdeburg Barracks(バラック跡:現在はここも資料館)、納骨堂、ユダヤ人墓地などたくさんの見学ポイントがあります。町の中に点在していて、資料館でチケットを購入したら町の地図がもらえたと思います。全てを一日でじっくり見るのは難しいです。

私は10時から16時まで見学したのですが、最後の小要塞にたどり着いたのが14時過ぎで、ほとんど小走り状態で肝心の収容所施設を見てまわりました。

テレジーンの収容所はもともと18世紀後半に建設された小要塞で、1940年〜45年にかけて強制収容所として利用されます。国際赤十字の目を欺くためにも芸術活動が多く行われた収容所で、音楽隊などによるオペラやコンサートの上演、画家によるスケッチなどの資料が多く残っています。また当時収容されていた子どもたちの絵も残っており、資料館に展示されていました。また当時の舞台衣装や楽譜、演奏の再現なども聞くことができます。


たぶん納骨堂。


小要塞の建物。


同じく小要塞。


クレマトリウム(火葬場)の建物。


その周りにユダヤ人墓地があります。

※入場料 200コルナ

※小要塞の近くに屋台があって、軽食は入手可能です。

今、もう一度行けるのならまずはこのテレージエンシュタット中継収容所に行きたいです。そして芸術に関わる人間として、もう少しキチンと理解したいです。ここで何があったのか。子どもたちの絵ももっとちゃんと見ておけば良かったと思います。いつになるか分かりませんが、必ずもう一度足を運びたいと思います。

資料館に展示されていたFrantisek Bass少年(1930.9.4-1944.10.28 アウシュヴィッツにて死亡)の詩(の英訳)。
 
A little garden,
Fragrant and full of roses.
The path is narrow
And a little boy walks along it.
A little boy, a sweet boy,
Like that growing blossom,
When the blossom comes to bloom,
The little boy will be no more.

(→以前の記事へ)

※またプラハでは「聖キリルと聖メトディウス教会」も見学できます。
| 強制収容所 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り(5):オーストリア

一つだけですがオーストリアで訪れた収容所を紹介します。

マウトハウゼン強制収容所 in マウトハウゼン
※収容所のWebsiteからLanguageに進むと、何と”日本語”のページがあります。


オーストリアのリンツから約25km程東に位置し、森の中にあります。リンツは観光地としても見どころの多い町なので、ここからマウトハウゼンに日帰りすると便利です。

アクセス:リンツ中央駅から360番のバスで 「Mauthausen-Ufer, Hauptschule」まで。片道3.4ユーロ。バス停から収容所までは約2kmで歩いて20分程です。こまめに「KZ-Gedenkstätte Mauthausen」の標識があるので迷うこともありません。往路は少し坂道になっているので、軽いハイキングという感じ。歩き始める前に帰りのバスの時間を確認しておきましょう!


こんな緑に囲まれた道を進んで行くと、


向こうの方に建物が見えてきます。歩いていて不安になっても、標識の差す方向を信じて進んで下さい。

※「地球の歩き方」では別のアクセス方法が紹介されていましたが、リンツのツーリストインフォメーションではこの”バス+徒歩”の方法を教えてくれました。(必要なかったけど)バス停からの地図もくれたし、バスの出発時刻も教えてくれました。

概  要:オーストリア最大の花崗岩の採石場があり、採石場の労働を「囚人」にさせるために強制収容所を建設した。採石のための収容所であり、建築も独特な外観。絶滅収容所ではないものの、過酷な労働と劣悪な食料事情で多くの収容者が死亡した。あらゆる人体実験が行われ、41年にはガス室が建設される。資料展示室・ガス室・火葬場・バラック小屋などが見学できる。また敷地内には様々な慰霊のためのモニュメントが設置されています。


人体実験の部屋







※入場料:2ユーロ(私が訪れた中では唯一の有料の収容所←ではなくテレジーンも有料でした)

※パンフレット:2.2ユーロ

※エントランスに受付があり、書店・カフェ・トイレなどの設備も整っていて便利でした。

ここも印象的な収容所でした。無骨なお城のような建築と、敷地内に所狭しと設置されているモニュメント(というよりむしろ近代彫刻)の奇妙さと。(→以前の記事へ)
| 強制収容所 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り(4):ドイツ-2

ノイエンガンメ強制収容所 in ハンブルク


ドイツ北部の都市ハンブルクの郊外にあり、町の中心から1時間〜1時間30分程で着きます。バスの便が極端に少ないことさえ気をつければさほど不便な場所ではありませんが、いわゆる強制収容所っぽいものが余り残っていないためか、見学者は少ないです。

アクセス:ハンブルグ中央駅からSバーン(Linie21)で約20分、Bergedorfで下車。Bergedorfから227番のバスに乗ると20分程で「Jean-Dolidier-Weg」というバス停に着きます。ここで降りて収容所のエントランスまで歩いてもいいし、さらに20分程乗ったままでいると「KZ-Gedenkstätte, Ausstellung」に着き、ここがエントランスに一番近いです。バスは収容所の周りを大きくぐるりと一週するので、どちらで降りても大丈夫です。さらに「KZ-Gedenkstätte, Klinkerwerk」と「KZ-Gedenkstätte, Mahnmal」というバス停が続きますが、どれも収容所前の道沿いです。帰りもどこから乗っても大丈夫です。ハンブルク市内のエリアにギリギリなるので、中央駅から片道2.75ユーロです。

※ちなみにKZ-Gedenkstätte, Ausstellungまで乗っていると、途中でバスからエルベ川が見えてきれいでした。

※バスの本数が1〜2時間に1本程なので、土日は特に注意。見学時間と帰りのバスの時間をよく確認して下さい。


レンガを運んでいたトロッコ。

概  要:1938年に開所。ザクセンハウゼン強制収容所の付属労働の衛星収容所としてスタートし、後に独立した基幹収容所に。建築資材の生産を第一目標とし他の収容所同様、過酷な労働が科された。大きなレンガ工場がある。絶滅収容所ではないが処刑も行われていた。残っている物は多くはなく、小さな展示とレンガ工場、見張り塔、それに慰霊碑と慰霊館など。


慰霊館。中には亡くなられた方達の名前が壁一面に記されています。

見る物は多くはなく、周囲は緑に囲まれています。ぼんやり歩いていたらここがかつて収容所だったとは思えないほどです。レンガ工場の建物の空間や、所々に残された強制労働の跡、ひっそりと佇む慰霊碑など静かな雰囲気で、他の収容所とはまた違った独特の空気があります。

*資料館の中にカフェというか売店のようなコーナーがあった気がしますが、じっくり見学する方は食料持参してもいいかも。収容所の周辺には何もありません。(→以前の記事へ)


ラーフェンスブリュック強制収容所 in フュルステンベルク



ベルリンから北に80キロ程のフュルステンベルクという町の近くにあります。主に女性の囚人を収容したことで有名。ここも見学者はとても少なかったです。

アクセス:ドイツ鉄道のREという電車でベルリンから約1時間30分、「Fürstenberg Havel」という駅で下車。ベルリンからは片道9.1ユーロ。二人以上ならブランデンブルク州の一日券などを購入した方が割安。駅から3km程歩くと収容所のエントランスに着きます。「Mahn- und Gedenkstätte Ravensbrück」という標識が要所要所にあるので、見逃さないように進んでいけば大丈夫です。


とりあえず駅からでたら、まず「Luisenstraße」に進むと最初の標識が見つかります。その後、「Rathenaustrase」→「Unter den Linden」→「Dorfstraße」と進むと慰霊碑があり、その先の「Straße der Nationen」を進むとエントランスが見えます。住所はStraße der Nationen D-16798 Fürstenberg。ネットなどで確認しておいた方が良いと思います。

概  要:1938年に始まった最初の女性収容所。ただし男性も女性とは別の場所に収容されていた。女性だからといって労働が軽くなるわけではなく、他の収容所と同様に殴打などの「罰」が下された。また若い女性を使った人体実験も行われる。見学できる物は多くはないですが資料館、バラック跡、火葬場などがあります。


バラック小屋。


戦後、ソ連軍に再利用されたことや修復の手が加えられていないこともあり、建物はひどく傷んでいて、中に入ることができるのは一部だけでした。


火葬場のすぐ近くに湖があり、塗装が剥げたぼろぼろのバラック小屋、展示室にあった拷問道具、壁の弾痕などとは別世界のような、牧歌的でとてもドイツらしいきれいな景色が広がります。

ここはザクセンハウゼン、ノイエンガンメに続いて私が訪れた3番目の収容所ですが、どの収容所も独特であることに驚き、その一方で共通してある静かで穏やかな現在の佇まいにも驚かされました。

※ベルリンからの場合は半日はかかるので食料持参が良いです。収容所近辺には何もありません。

※冬は防寒対策などかなり覚悟が必要だと思います。(→以前の記事へ)

| 強制収容所 | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り(3):ドイツ-1

個々の強制収容所への交通アクセスや展示内容などの情報をまとめておきたいと思います。私が訪れたドイツ国内の強制収容所は5カ所ですが、その中でもアクセスの良い3カ所からまずは紹介します。

(注意:開館時間は夏場と冬場で異なる場合が多いです。冬は早めに閉館する施設があるので要確認。入場料はほとんどの場所が無料ですが、地図が有料の場合はあります。またほとんどの収容所が祝祭日も開館していますが、資料館や図書館などは月曜休館のところが多いです。これも要確認。)

ザクセンハウゼン強制収容所 in オラニエンブルク


オラニエンブルクはベルリン市内ではなく、ベルリンの中心地から北に30km程に位置し、1時間弱で着くことができ観光しやすいため、見学者の非常に多い収容所です。展示も豊富で施設も多く残っています。

アクセス:SバーンのLinie1で終点のOranienburgまで(切符はABCのゾーンが必要)。駅からはバス(821番)も出ているけど歩いても20分程。いくつもGedenkestätteの方向を示す標識が出ているのでそれに従って進めば、エントランスに到着します。

概  略:1936年に本格的にスタートしたダッハウに続くナチスによる2番目の強制収容所。映画「ヒトラーの贋札」にもあるように、偽札の作成が行われたのもここ。ユダヤ人だけでなくソ連からの戦争捕虜、政治犯なども多く収容されていたそうです。ガス室、焼却炉、人体実験室も。終戦から1950年までの5年間はソ連の特別収容所として再利用される。


囚人の部屋。


初めて訪れた2002年は、9月の観光シーズンだというのに5〜6人しか見学者がいませんでした。かつて強制収容所だったという広大な敷地に一人ぽつんと立った時のあの感覚は、今では味わうことができなくなりましたが…。そのかわり最近になって地下室の絵が公開されています。この絵を見た時の衝撃も、やはり大きなものでした。(→以前の記事へ)

※エントランスにコインロッカーがあります。地図は有料で50セント。書籍コーナーあり。カフェ等は無いけれど近くに小さな喫茶店があります。


ブーヘンヴァルト強制収容所 in ワイマール


ワイマールはベルリンから特急で南に2時間程の歴史のある文化都市。ゲーテやシラーといった文豪やバウハウスでも有名。強制収容所は町の中心から約10km北に位置しますが、バスで乗り換えなど無く直接行けるので便利。

アクセス:ワイマール駅もしくはゲーテ広場(Goetheplatz)から6番のバスでBuchenwald行き(Ettersburg行きはダメ)で10〜15分程。

概  略:1937年に開所。開所当初は共産主義者、社会主義者、エホバの証人の信徒、捕虜など政治犯・思想犯を収容していたが、後にユダヤ人やロマなども移送されるようになる。人体実験も行われた。門、火葬場、SSのための動物園跡が残っている。


門とクレマトリウム(火葬場)を除けば、バラックなどはまったく残っていません。そのかわり展示は充実しています。ただし英語があったりなかったり。08年に訪れたときはバラックの復元が始まっていたので、何年か後に訪れたら様子が異なっているはず。(→以前の記事へ)

※エントランスの隣にカフェ・レストランがあります。
※ソ連の特別収容所に関する展示資料館もあります。


ダッハウ強制収容所 in ダッハウ


ダッハウはミュンヘンの北西約20km。ミュンヘンから40分程で着くことができるので便利。復元したバラック小屋、火葬場、見張り塔、門、ガス室などが見学できます。資料館はとても充実しています。展示はドイツ語と英語の併記。


アクセス:ミュンヘン中央駅(Hauptbahnhof)からSバーンでダッハウまで、所要約20分。そこからKZ-Gedenkstätte行きのバス(724か726)で約10分。ミュンヘンからの切符は片道4.8ユーロだけど、Single-Tageskarte (XXL)という一日券が7.0ユーロなのでお得。2人以上ならPartner-Tageskarte(XXL)が大人5人まで12.30ユーロなのでお得です。バスもこのチケットで乗れます。

概  略:ナチスが作った最初の強制収容所。33年に開所し当初は政治犯を収容していた。二重の鉄条網や監視塔など、この収容所がその後に作られる収容所のモデルになる。ガス室は42年に建設されたが稼働したという記録はないそう。人体実験は行われていた。


私は8月の観光シーズンに訪れたこともあって、とにかく見学者が多い。上記の2施設もそうですが、人が多くて展示を見るのにも苦労するくらい。バラックなど敷地内の大部分が破壊されているかわりに、慰霊のための礼拝堂がユダヤ教・カトリック・プロテスタント・正教会のそれぞれのスタイルで建てられているのも印象的でした。(→以前の記事へ)

※エントランスにインフォメーションとカフェ・レストランがあります。

「ドイツ−2」に続きます。
| 強制収容所 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り(2):見学に際して

訪ねる収容所への情報が集まったら、後は現地に足を運ぶだけです。収容所の見学は広大な敷地内をひたすら歩き、展示内容を見て説明を読んで、という精神的にも肉体的にもとても疲れる作業です。あの空間にむしろ癒される私のような例外を除けば、ショックを受ける人も多いと思います。

着いたらまずはインフォメーションで地図をもらいます。地図で施設内の見学ポイントを確認して、ルートを決めると良いと思います。音声ガイドもありますが日本語は今まで見たことはありません。聞くだけのことはある情報量なのですが、言葉の説明が大量にありすぎると、自分の皮膚感覚で感じることができなくなるのが難しいところです。


見学は収容所の規模にもよりますが、敷地内を一通り見るのなら3〜4時間は予定しておいたほうが良いと思います。まずは歩きやすい服装と靴で、そして真夏以外は寒さ対策を忘れずに。荷物もカメラと辞書と貴重品という最小限が理想です。(写真はマイダネク絶滅収容所。)

エントランスにコインロッカーがある場合もあるので、余分な荷物は預けるに限ります。また展示室内は照明が暗い所が多いので、資料目的で撮影される方は三脚が必要かもしれません。基本的に写真撮影可な場合がほとんどですが、資料館や特別展示室は撮影禁止またはフラッシュ禁止の場合もたまにあるので、確認が必要です。

私は4時間以上かけて見学することが多いので、ペットボトルとパンやチョコレートなども少し持っていきます。カフェやレストランがある収容所もありますが、敷地が広いのでそこまで移動するのが大変だったりするからです。


ここ5年間程の間にドイツの収容所施設はリフォームが進んでいて、とても観光しやすくなってきています。エントランスとインフォメーション、カフェにショップ。それにトイレが増えていたりコインロッカーができていたり。(写真はブーヘンヴァルト強制収容所のインフォメーション。)

設備の近代化は見学するにはとても助かるのですが、その反面、観光地化されている気も否めません。交通アクセスの良い収容所は見学者の数もびっくりするほど多く、落ち着いて展示を見ることもできないくらいです。こればっかりは仕方の無いことなのですが…。

あとは収容所のそれぞれの歴史を若干でも知っておくと、とても見学しやすいと思います。絶滅収容所、強制収容所、中継収容所、衛星収容所などいろいろなカテゴリーがあるし、ラーフェンスブリュックのような女性を収容することを目的とした場所もあります。大概の情報はもちろん現地で手に入りますが、私は語学が苦手なので日本語で概要だけ調べておいたのが、スゴく助かりました。


そのために利用したのがこの「ホロコースト―絶滅収容所の記憶」(毎日新聞社) 本です。様々な収容所の概略が紹介されていたので便利でした。ただ余り真面目に調べすぎると、実際に足を運ぶ前に気持ちが折れてしまう方もいると思うので、ほどほどに…。

以上、余り役に立たない"見学編"でした。
| 強制収容所 | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
強制収容所巡り(1):情報収集

ブログのアクセス解析などを見ると、収容所の記事を読んでくれている方が意外と多いのに驚かされます。このブログ内の収容所の記事は私の感想に過ぎないので、具体的な情報を探している方には余り役に立たないと思うので、交通手段など実際の情報を何回かに分けて記事にしておこうと思います。

ナチスによる強制収容所跡地はヨーロッパ中に数えきれない程あったわけですが、現在見学できる施設の多くはドイツとポーランドにあります。基本的に町の中心から離れた不便な場所にあり、バスが2時間に1本だったり、最寄りのバス停から数キロ歩かないと行けないなど、事前に情報収集をしておかないといけません。

私の場合は08年8月26日〜9月18日にかけて、約4週間で計7カ所の収容所跡地を訪れたのですが、出発前の準備に最も力を入れたのが情報収集です。というのもどこに強制収容所があるのかも分からなかったわけなので。


その時に入手したのがこの本、強制収容所を巡る人のためのガイドブック(洋書)です。アメリカ人の著者Marc・Terrance氏が自らドイツ・ポーランドを中心に各地の収容所を訪れ、施設の規模や交通手段などをかなり具体的に書いてくれています。笑えるくらい主観的な文章なのですが、その分臨場感があって役に立ちました。アメリカ人向けに書かれた平易でざっくばらんな英語です。

ただしこの本が2003年に出版されているので、情報としては新しくはありません。あくまでも参考として、現地で最新の情報を確認することをおススメします。

私はこの本と「地球の歩き方」、各収容所のWebsiteの情報を持って出発しました。その上で現地のツーリストインフォメーションによる情報も合わせると、特に大きな問題なくたどり着くことができました。事前に集めた情報をもとに宿泊場所や滞在日程などを決め、現地で具体的なアクセス方法を確認する、といった感じです。

何と言っても一番確かなのが現地の情報。収容所に行きたいと告げると、交通手段から時刻表までだいたい丁寧に教えてくれます。電車やバスの時間や路線の番号などは、紙に書いてもらうと良いです。最近は頼まなくてもプリントアウトしてくれたりもしますが。

収容所跡地の中には終戦時に破壊され、今では瓦礫と慰霊碑が残っているだけというような場所もあるそうです。研究者でもない限りそういう場所に行っても、何をどう見ていいのかが分からない上に、ほとんど見学者がいないので辿り着くのも大変です。私が選んだのは近郊の町から日帰りができ、見学する施設がある程度残っているところです。

なので私がこのブログで紹介している収容所はそれなりに見学するべき施設が残っていて、しかも私がたどり着くことができたくらいなので、簡単な旅行英語ができれば誰でもたどり着けると思います!!
| 強制収容所 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ダッハウ強制収容所

先日のミュンヘン旅行の目的の一つが、ダッハウ強制収容所。ミュンヘンの中央駅から電車でダッハウまで行き、そこからバスに乗り換えます。中央駅から1時間程で着くので、ベルリンのザクセンハウゼン強制収容所と並んで、アクセスしやすい場所にあります。

逆に言うとマウトハウゼンノイエンガンメテレージジエンシュタットなどは電車やバスの本数が少なかったりするので、ちょっと注意が必要です。


ダッハウの駅前のバス停に行くとこの標識が。間違える方が難しいくらい分かりやすいです。KZはドイツ語で強制収容所の略です。


ツーリストインフォメーション。最近きれいにしたのか、とてもモダンな施設でした。ここでオーディオガイドを借りたり、地図をもらったりします。コインロッカーはなかったのが残念。


収容所の門。ブーヘンヴァルトやザクセンハウゼンの門と同じです。


収容所の中心を通る道。


収容所を記憶するために再現されたバラック。


びっしりとバラック小屋が建っていた当時の様子。




焼却炉。




ガス室の一つ手前の部屋。

ダッハウは絶滅収容所という位置づけではなく、ガス室も設置されたものの稼働したという事実はないそうです。しかし残酷な人体実験や過酷な労働で約7万人が命を落としています。(ちなみにアウシュビッツでの犠牲者数は100〜250万)。

実はこのダッハウ強制収容所はナチスが作った最初の収容所で、その後作られるすべての収容所のモデルになっています。私はすでに8カ所の強制収容所を見学した後だったので、ダッハウの強制収容所にさほど大きな印象は受けませんでした。すでに見た事があるような気分にすらなりました。そういう意味では、収容所の特徴的な要素はすべてここにあると言っても間違いないと思います。

最初の強制収容所ということもあって、足を運んでおきたかった場所。今回の留学で訪れる最後の収容所です。この1年間で9カ所の収容所。9カ所も見たのだから強制収容所について、あるいはナチスのホロコーストについて随分理解したのかと思われるかもしれませんが、逆にいろいろな局面が見えてきて、分からない事だらけになっています。

「よくそんなところへ平気で何度も行けるね」とか「一つ見ただけで十分。苦しくて他の所に行こうと思わない」ともよく言われます。私はそういう部分が鈍感なのかもしれません。でもやっぱり強制収容所の持つ独特の空間、あるいは空気が好きです。とても静かな気持ちになります。

そしてここにあるリアリティーや物質のもつ強さを、しっかりと肌で感じておくことは私にとって重要なことです。時として持ってしまう芸術に対する甘ったるい感情を吹き飛ばすように、ここで感じた事を記憶しておきたいと思います。



慰霊碑の外壁に飾られた疲れたような顔で一休みするキリスト。
| 強制収容所 | 22:08 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
核シェルター in Ahrweiler

ケルンからボンを越えてさらに南、電車で約1時間30分程の場所にアールヴァイラーという町があります。赤ワインの産地として有名なぶどう畑に囲まれた小さな町に、冷戦時代に建てられた巨大な核シェルターがあり、08年3月から博物館として公開されています。

Dokumentationsstätte Regierungsbunkerが正式名称。 核シェルターというと大江健三郎の「洪水は我が魂に及び」を思い出します。まだ若かりし頃、かなりこの作品に傾倒したこともあって、核シェルターに奇妙なロマンを抱いて見に行ってきました。


博物館は最寄り駅であるAhrweiler Marktから約1キロ。駅を下りると↑写真のように目の前にぶどう畑が広がっています。シェルターはこのブドウ畑の地中に作られています。


途中の標識。核シェルターの標識の上に、ぶどう畑の標識。


エントランス。ここは水・土・日の週3日だけ開館(11〜3月の冬期は休館)。入場料と写真を撮りたい人は追加料金を支払います。専門のガイドによる説明を受けながら約1時間かけてのグループ見学です。ドイツ語以外にも事前の申し込みをすれば英語・フランス語・スペイン語などが可能。たくさんの人が訪れていて、30人くらいのグループが約15分置きに出発してました。私もドイツ人の中に一人混じって見学。


この核シェルターは地下トンネルのような構造になっています(詳しくはこちらの記事を参照)。ここは実は見学の一番最後に訪れる場所。既に色んな設備を見た後にこの空間の前に立ち、核シェルターへのロマンも吹っ飛び冷や水を浴びせられたような気分でした。直径が約6.7m程の大きさ。


他にも当時のものが展示されています。これは防護服と救護道具。


空気清浄機。実際に有事が起きた時、電力と空気と水が確保できるようになっています。3000人が30日生活できるとか。


今見ると時代遅れな感じがする指令塔。


首相の寝室。と言ってもごく簡素。西ドイツの歴代の首相も訓練に参加したとか。


外部と完全に遮断できるように作られていて、何とも独特の空間です。


私たちのグループのガイドは、36年間技術者としてこのシェルターで務めていたパウルさん。東西ドイツの統一までは職業を聞かれても極秘のため答えられなかったとか。08年に博物館としてオープンした時にガイドとして雇用されたと言ってました。

どんな質問にもすらすら答え、説明に実感がこもっているのか参加者との対話が盛り上がっていました。でも私は単語が全然分からなくてほとんど理解できず…。それでもこの建物の中を見るだけでも、感じることは一杯あります。

3000億円かけて建設し、実地訓練で年に数回使われる以外は設備を維持され続けただけのこの場所は、冷戦を知らない若い世代の人たちが見ればおとぎ話のように思えるかもしれません。でも東西の冷戦の最前線であったドイツはこの巨大な核シェルターを大真面目に必要としていたわけです。

最後に訪れた大きなトンネル(4枚目の写真)の部屋には核保有国が分かる世界地図と、広島の原爆の写真が展示されていました。多分これはセンチメンタルな感じ方なのかもしれませんが、日本が憲法九条を持っていることを本当に誇りに思いました。核シェルターの空間の持つ雰囲気に圧倒される中で、不意に「でも九条がある」と頭の中で声がして気持ちがしゃきっとしました。

フォーゲルザンクも終戦から60年もの間、イギリス軍やベルギー軍に使用され05年に返還され06年に公開されました。普段の生活では感じることはほとんどないけれど、終戦も冷戦もまだまだ過去のことではないと改めて思いました。

※ドイツ語の聞きとりミスによる間違いがあるかもしれませんので、細かい内容は余り信用しないで下さいね(^^;;
| 強制収容所 | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ノイエンガンメ強制収容所、再び

昨日の夜にハンブルクに到着。今日は月曜日だけどドイツは祝日。町に行ってもお店も閉まっているだろうし、ノイエンガンメ強制収容所に行くことにしました。緑がいっぱいだし静かだし。


3年ぶりのノイエンガンメ。ハンブルク中央駅から最寄り駅まで15分。駅から収容所まではバスで30分。バスは1時間に1本。


まずは慰霊碑。「あなたたちの苦しみと闘い、そしてあなたたちの死を無駄にはしない」というようなことが刻まれています。


とにかくここも広い敷地です。そして3年前と微妙に違う。少しずつ保存と見学のために手を入れているようです。


もう一度見たかったレンガ工場。ここで強制労働が行われていたわけですが、この建物の大きさと中の空間に、前回強い印象を受けてモチーフにもしました。


中側の空間。


天井の隙間や天窓から光がこぼれて、不思議な空間に見えます。ここでレンガを乾かしたり、焼成したりしていたわけです。


出来上がったレンガはこの滑り台になっているところから運び出され、


トロッコに乗せて、


そのまま船に乗せて運送できるよう、合理的にできています。


これまで計8カ所の強制収容所を訪れましたが、どこも緑に囲まれて静かで広々としていて、そしてどこも独特です。それぞれが独特の雰囲気を持っていて印象が混ざることはありません。建物のデザインや内部空間、敷地の使い方もどこか奇妙なのです。

自分でもどうして収容所の空間や建築にこんなに興味を持つのか分からないけど、でもやっぱり気になります。まだまだ見てみたい。ベルリンに戻ったら、またザクセンハウゼン強制収容所に行ってみようと思います。
| 強制収容所 | 22:31 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
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